『朝日のような夕日をつれて』鴻上尚史  弓立社

みよこの遺書 

最後の手紙です。なんだか、自分がだんだんクールになっていけばいいと思います。活動家のホットさと、物事に対するなんというか、もう何もありはしないのだという醒めたクールさをもてるようになりたいと思うのです。「なんかある」と信じ続けているのは、あまりにもおめでたく、不毛な、無いものねだりのような気がしてきたのです。

ここ二、三日何も考えなかったといった方があたっているのかもしれません。何もせずにただ、ベッドに横たわって知っている人の名前を挙げみるのです。

ある日、私は、まことに変な話ですが、友達と「不倫の恋」について話がしてみたくなりました。結果的にはしなかったのですが、ぶりっ子というかモラリストぶってる女達は、どう考えているのだろうと思ったのです。でも、突然、そんなこといったところでみんな嫌がるでしょうし、やめました。

本当は、娼婦の話がしたかったのです。みんな、女が娼婦になったらどうだろう。売春婦じゃないのよ、娼婦。みんなが娼婦の哀しい目と、なんとかの花のような笑顔をもって、追い詰められた「何か」を持っていたならば、みんなみんな、テレビのお人形なんかに熱中しなくてすむのに。

究極の存在、イデア・ライフを始めてもう随分になります。始まりはとても簡単なことでした。みんな何故、コンピューター・ゲームなんかに熱中したんだろう。ふとそれは、目的があるからなんだなと気づいたのです。そしたら途端に、笑いがこみ上げてきました。真理といってもいい、神様といってもいい、みんなそんなものなど何もないことを知りながら、それでもなお、熱中しようとしている。神様がいないのなら、自分がコンピューター・ゲームという世界の神様になろうとしている。

ならばと思います。ならば、この究極の存在、イデア・ライフは決して完成することはないだろう。ユートピアなんてはじめから、真理なんてずっと昔から、ないのだから。そう思った瞬間、私の体に激しい寒気が走りました。それは途方もない淋しさでした。この寒さを埋めるために私はまた、何かにすがるのかと思うと寒さを越えた激痛が私を襲いました。

究極の存在、イデア・ライフの中で生きている時、私は確実に幸福でした。だけれども、ある日、もうひとつの激痛が私を襲いました。何気なくイデア・ライフの中の私の部屋を訪ねた時、その部屋の片隅に私がいたのです。私はアイフォンをはずし、訪れた私を静かに見つめました。外されたアイフォンの画面の中に、同じようにアイフォンをはずし、訪れた私を見つめる私がいました。合わせ鏡のように続く無限連鎖の中で、何万人もの私が私を見つめていました。
思えばあの時からです。初めて寒さに負けたあの時から私は私でなくなった。

リンネ、転生。もう一度生まれ変われるものなら、私はあの時、自分の寒さに負けたあの時にもう一度立ち向かっていきたいと思っていました。そう、もう一度、生まれ変われるものなら。その答えをこの究極の存在、イデア・ライフが教えてくれました。

例えばそれは、イデア・ライフの時間軸を数億年の何万倍という未来に設定した一瞬、
例えばそれは、拡散と収縮をいくたびも経た銀河の、いまだ見ぬ星雲渦巻く一瞬、
例えばそれは、青い惑星はすでに消え、さらなる青き惑星の誕生を告げる一瞬、
例えばそこに、私が、真っ白な空虚に包まれて私が、その中心に立っていたのです。

この宇宙は分子によって成立している。どんなに多くても、有限な分子によって成立している。だとすれば、有限な分子が、有限な組み合わせを、無限な時間のうちに繰り返すなら、もう一度、あの時と同じ分子配列が偶然に出来上がる。
その時、私は、あの時と同じ状態でそこにある。その時こそ私は、私でなくなったあの瞬間に、真っ向から立ち向かおう。何にもたよらない、何も待ち続けない、固有の人間として、私は私の寒さを引き受けようと決めたのです。

リーインカーネーション。生まれ変わりを私は、信じます。