よく、日本人は個人プレイよりもチームプレイが得意だとか、アメリカ人は一人ひとりが自分勝手だから集団行動が苦手だとか、根拠のない(事実に基かない)印象だけでほざく人がおるが、おれはその手の思い込みは笑止千万だと思う。アメリカ人は、互いに異質でバラバラのやつらが、まとまればまとまるほど賢く強くなってゆき、日本人は、個々人は優れている均質なやつらが、集まれば集まるほどアホになり弱くなってゆく。
チームプレイが得意な国で年金が消えたりするかよ。党利党益、省利省益しか考えていない政治家と役人が馴れ合って国民不在の政治と行政を自分たちだけのために回し、そんでもって、それだけコケにされても、ろくろく選挙にも行かない国民が大勢いる日本人の、どこがチームプレイが得意なものか。
TBSで『官僚たちの夏』という連続ドラマが始まった。多少は皮肉をまじえているのかと思ったら、原作以上に産業政策バンザイで驚いた。…
城山三郎の原作(1975年)は、佐橋滋という実在の通産事務次官をモデルにしたもので、… 小説はかなり史実にもとづいているが、このドラマは冒頭に出てくる「国民車構想」からして完全なフィクションだ。通産省がそんな事業を推進した事実も、そういう自動車が試作された事実もない。むしろ自動車は、失敗だらけの産業政策の中で役所が干渉しなかったから成功した数少ないケースだ、というのがポーターなどの評価だ。
原作の中心になっているのは、1962年に佐橋が立案した特振法(特定産業振興臨時措置法)で、企業の合併などによって外資に対抗し、国際競争力を高めようとするものだったが、実際には時代錯誤の統制経済だとして民間の反発をまねいて挫折した。…
しかし特振法の精神は通産省の行政指導として残り、外資を排除して国内企業の「体質強化」をはかる保護行政が続いた。原作で印象的なのは、「自由化したら国力の圧倒的に大きいアメリカにつぶされる」という被害者意識と、「自分たちが指導しないと民間には力がない」という国士意識が強いことで、このDNAは経産省にも受け継がれている。21世紀になっても、「日の丸検索エンジン」とかエルピーダ救済とか、産業政策の亡霊はまだ霞ヶ関を徘徊しているようだ。
城山三郎のあの通産官僚プロジェクトX小説について。被害者意識と国士気取りこそがニッポンのエリートのステレオタイプというか、テンプレートみたいなもので、別に現経産省に始まったことでなく、厚労省、国交省、農水省などの全ての官僚はおろか、アカデミック層にも、日本の大企業の経営層など全ての「エリート」が持っているものだと思う。
「日の丸検索エンジン」以外にも、地球シミュレーター及び次世代地球シミュレーター、京速コンピュータ、第5世代コンピュータ、すばる望遠鏡、スーパーカミオカンデなど、ほとんどの大型科学プロジェクトは、ある意味あっても無くても、人類の進歩に大差ない程の成果しか上げられていない、または上げないと予想されるのだ。しかし、それでも被害者意識と国士気取り、更には研究者自身のメシのタネを追求することのために絶対に無くならないのだ。たしかに、自分でやってみて失敗したり成功したりしないと物事を掴めないというのはあるのは事実なのだが…
(via kashino)
国が関与して競争力高まった産業って実はあんまり無いそうで。むしろ落ち目の業界を助けているのが現実。城山さんの揚げ足とるわけではなく、功と罪みたいなの総括したら面白いかもな。
(via keisuh)
国が絡むとあまりいいお話にならないというのは経営学及び政治経済学ではいろはの”い”から”ろ”くらいのお話ですね。理由は、産業規制とかをゆるーく触った体感でなんとなーく分かります。日本の今がどうとかじゃなくて、やっぱりそもそも論としてあまりフィットしない。
とかいうことを踏まえると、戦後日本の経済成長ってのは経済史の視点でもなかなかに異端児になるそうです。はい。
リーマン・ショック以降、数カ月かけて離婚の準備を進める「離活」の相談がいきなり増えたという。30〜40代の女性が中心で、月10件程度だった離活相談は、今年に入って月100件近くに急増。料金は30分ごとに5250円で、財産分与や調停への備えなど相談内容はさまざまだ。
渋川良幸代表(46)は「不況で残業が少なくなったり、リストラされたりして、ご主人の家にいる時間が長くなり、夫婦げんかが多くなっている。芸能人の離婚報道などで、離婚に対する抵抗感も薄くなってきている」と分析する。
赤外線リモコンは、機器との通信速度が比較的低いため、例えばスクロール・ホイールやトラック・パッド、トラック・ボールなどの入力デバイスを使って実現する、「シームレス」なナビゲーション機能には対応できない。
河村建夫官房長官は5日午後3時ごろに大麻の種を買って自宅で栽培した。
軍艦島マンション「沢マン」に行ってきた。 : さざなみ壊変 屋上にこんなの載せてたら、ひどい台風のときに問題になると思う。昔静岡県のある中学の屋上に敷かれていた砂利が、台風でとばされ別棟に降り注いで、ガラスが全部割れちゃったことがあるんですよ。私の出身中学だけど。台風はすでに何回も経験しているはずだが……
問題はバーコードのない本の扱いについてである。私の質問にアマゾンの方はバーコードのないものは入荷窓口ではじかれると応えた。つまり品切れ扱いになるのだ。
取次の場合はバーコードのない時代の本もISBNを割り振ったリストを版元から受け取っており、受け入れ段階でバーコードを作成して貼っている。アマゾンの場合はバーコードのない本は扱わないわけである。なければ自社で付けろと言っているのだ。
(中略)
返品の依頼がアマゾンから来ているのを見ると、そのすべてがバーコードのない時代の本である。これらの本は在庫僅少であり、注文があれば極力きれいなものを選んで出荷していたのだが、何のことはない、客の注文を受けながら客に届けることを怠った結果がこの返品依頼のリストだったというわけだ。客には品切れと報知されるのだろう。
研究では、自信がない人のグループと自信がある人のグループを対象に、「私はだれからも好かれる人間だ」と自分に言い聞かせてもらい、その後どのように気分が変わり、自分自身についてどのように感じるようになったかを調べた。その結果、自信のなかった人のグループは前向きな言葉を繰り返しているうちに、気分が一層落ち込んだという。
どだい「親子の無条件の愛」などという幻想のドグマが実は最も有毒なのである。
そもそも“親子だから無条件で愛する”などという愛は、のっけから“親子だから”という制限が付いており、全く無条件ではない。
「自分の子」や「自分の○○」しか無条件に愛せないという人間に、他者を無条件で愛するなどという芸当が出来るわけがないではないか。
キリスト教文学的に言えば“罪びと”、庶民的な表記を採択すれば“しょうもないばかたれ”であるわたしたちに出来るのは、せいぜい人間関係の毒抜きぐらいなのである。
「え?必要?それ」
「どうすかねえ」
「う~ん、どうかなあ」
「まあ入れろって言ってるんで入れますけどね(半笑い)」
「むずかしいとこだねえ(半笑い)」
必要かな?そのテロップ。う~ん、わかんねえ。微妙すぎる。


